ナポレオンは本当にチビだったのか?身長168cm説の真相と嘘の正体
フランスの英雄として世界史にその名を刻む皇帝ナポレオン・ボナパルト。「小柄な独裁者」「チビの軍人」というパブリックイメージは今なお根強く、心理学の世界でも低身長男性の劣等感を指す言葉として「ナポレオン・コンプレックス」が定着しています。教科書や歴史映画でも、どこか小柄な姿で描かれることが珍しくありません。
しかし、近年の歴史研究や当時の解剖記録の再検証によって、この「低身長説」は完全な誤解であったことが明らかになっています。なぜ彼は実際よりも極端に小さく語り継がれ、歴史的な虚像が定着してしまったのでしょうか。当時の測定データと時代背景から、その決定的な理由を解き明かします。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:ナポレオンの実際の身長は約168cmであり、当時のフランス人男性の平均身長より高かった。
- 要点2:「小男」の噂は、フランスインチとイギリスインチの換算ミスおよび英国の戦争プロパガンダが発端。
- 要点3:大男揃いの近衛兵に囲まれていた視覚的効果や、兵士からの愛称「小男の伍長」の誤読が誤解を加速させた。
【歴史的真相】ナポレオンの実際の身長は168cm!当時の平均身長と比較検証
結論から言えば、ナポレオンの実際の身長は約168cmから169cmでした。現代の日本人成人男性(平均約171cm)と比べればやや小柄に感じられるかもしれませんが、18世紀末から19世紀初頭のヨーロッパという時代背景を考慮すると、決して低い数字ではありません。
当時の記録によると、18世紀末のフランス人成人男性の平均身長は約160cmから164cm程度でした。栄養状態や衛生環境が現代と大きく異なる時代において、168cmあったナポレオンは、むしろ「平均よりやや背が高い男性」の部類に入っていたのです。
この事実を証明する最も信頼性の高い一次資料が、1821年5月5日に彼が幽閉先のセントヘレナ島で死去した直後に行われた検死解剖記録です。検死を担当したフランス人侍医フランソワ・アントンマルキ医師らは、ナポレオンの遺体寸法を正確に計測し、記録に残していました。
なぜ「チビ」と呼ばれたのか?ナポレオンの身長にまつわる嘘の理由と単位の罠
平均より高かったナポレオンが、なぜ歴史上「小男」として記憶されることになったのでしょうか。その最大の原因は、フランスインチとイギリスインチの換算における誤解にあります。
検死記録に記されたナポレオンの身長は「5フィート2インチ4ライン」でした。これを当時のイギリスの単位系(1フィート=約30.48cm、1インチ=約2.54cm)でそのまま単純計算すると、約157cmから158cmという極めて小柄な数値になってしまいます。
しかし、当時フランスで使用されていた旧度量衡「トゥアーズ法」のフランスインチ(ポンス)は、イギリスインチよりも約7.8%長い1インチ=約2.707cmでした。フランスの単位系で「5フィート2インチ」を正しくメートル法に換算すると、約168.6cmになります。メートル法がまだ国際標準として普及していなかった時代特有の単位の違いが、彼を「157cmの小男」に仕立て上げてしまったのです。
英国の猛烈なプロパガンダ|風刺画家ジェームズ・ギルレイが仕掛けた情報戦
単位の誤認以上にナポレオンを小さく見せる決定打となったのが、敵国イギリスが国家規模で展開した激しい世論工作です。当時、欧州大陸を席巻しイギリス本土侵攻を狙っていたナポレオンは、英国民にとって最大の脅威でした。
そこでイギリス側は、恐るべき軍事の天才を精神的に矮小化し、国民の恐怖心を和らげるためのプロパガンダ風刺画を大量に制作しました。その中心人物が、英国風刺画の父と呼ばれるジェームズ・ギルレイです。
ギルレイは風刺画の中で、ナポレオンを巨大な三角帽子と軍服に身を包んだ滑稽な小男「リトル・ボニー(Little Boney)」として徹底的にカリカチュアライズしました。英国の指導者が威風堂々と立つ横で、癇癪を起こして暴れる小さなナポレオンの姿は瞬く間に大衆へ浸透し、彼が実際に小柄であるかのような強烈な先入観を世界中に植え付けました。ナポレオン自身も流刑地で「ギルレイの風刺画は、欧州のすべての軍隊を合わせた以上の打撃を私に与えた」と語ったと伝えられています。
親愛の証だった?愛称「小男の伍長」の由来と親衛隊(近衛兵)の視覚的錯覚
ナポレオンが小男と呼ばれた背景には、自軍の兵士たちとの関係性や、周囲を取り巻く環境による視覚的錯覚も大きく関係しています。
兵士たちはナポレオンを親しみを込めて「小男の伍長(le petit caporal)」と呼びました。この「小男(petit)」というフランス語は、体格の小ささを指すだけでなく、「親愛なる」「愛しい」という強い愛着を表すニュアンスを持っています。1796年のロディの戦いにおいて、総司令官でありながら自ら危険な砲列の照準を合わせる姿を見た古参兵たちが、敬意と親しみを込めて授けた階級を超えたニックネームでした。
さらに、彼が常に従えていた帝国近衛兵(親衛隊)の存在が視覚的な誤解を決定づけました。ナポレオンの身辺を警護する擲弾兵(てきだんへい)部隊には厳格な選抜基準があり、身長178cmから183cm以上の大男のみが入隊を許されていました。巨大な熊皮帽をかぶった大男たちに囲まれて前線を視察するナポレオンは、たとえ168cmの標準以上の身長があっても、第三者の目には極めて小さく映ってしまったのです。
妻ジョゼフィーヌとの身長比較と「ナポレオン・コンプレックス」の心理学的正体
私生活における女性関係もまた、彼の体格に関する誤った俗説を生み出す要因となりました。最初の妻であるジョゼフィーヌ・ド・ボアルネとの身長比較では、彼女の身長は約157cmから158cmと推定されており、ナポレオンのほうが10cmほど高身でした。
しかし、ジョゼフィーヌは当時の流行であった高いヒールを履き、髪を高く結い上げて大きな羽根飾りを身につけることが多かったため、社交界の絵画や記録では並び立つ二人の身長差がほとんどないように描かれるケースが見られました。これが後世、「妻より背が低かった」という誤説を生む土壌となりました。
こうした複合的な要因によって生まれたのが、心理学用語の「ナポレオン・コンプレックス」です。背の低い男性がその劣等感を補うために、過度な野心や支配欲、攻撃性を示す心理傾向を指しますが、当の本人はコンプレックスを抱くような低身長ではありませんでした。心理学の概念そのものが、歴史的事実の誤認とプロパガンダの産物の上に成立しているという点は皮肉な事実です。
【ナポレオン 身長】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ナポレオンの正確な身長は何センチだったのですか?
A1:死後の解剖記録(フランス単位で5フィート2インチ4ライン)を現代のメートル法に正確に換算すると、約168.6cmです。当時のフランス人男性の平均身長(約160〜164cm)を上回っていました。
Q2:なぜ「157cm」という具体的な低い数字が広まったのですか?
A2:フランスの旧インチ(1インチ=約2.7cm)で記録された数値を、イギリスの短いインチ(1インチ=約2.54cm)としてそのまま計算してしまったためです。度量衡の違いを無視した換算ミスがそのまま世界的な通説となってしまいました。
Q3:ナポレオン本人は自分の身長を気にしていたのでしょうか?
A3:同時代の側近たちの手記や書簡を見る限り、彼自身が身長に対して強い劣等感を抱いていたという客観的な記録はありません。堂々とした立ち振る舞いと強烈なカリスマ性で周囲を圧倒していました。
まとめ:200年の歪みを解くナポレオン・ボナパルトの真実
ナポレオン・ボナパルトの「低身長伝説」は、単位換算の単純なミス、敵国イギリスによる巧みな風刺画プロパガンダ、大男揃いの近衛兵に囲まれた視覚的効果、そして兵士たちの愛称の誤読が複雑に絡み合って生まれた歴史上もっとも成功した情報操作の一つでした。
実像としてのナポレオンは、当時の平均を超える約168cmの体躯を持ち、欧州を駆け巡った堂々たる軍人でした。歴史上の固定観念や広く信じられている通説も、一次資料や当時の社会背景を検証し直すことで、まったく異なる真実の姿を浮かび上がらせてくれます。 (出典: ナポレオン 身長(Yahoo!ニュース))